脳科学・神経科学とデータサイエンス

最新の神経科学・脳科学の研究やビッグデータの医療への応用を誰にでもわかるように説明していきます。

神経科学・脳科学のモデル生物とは?

モデル生物とは?

神経科学・脳科学研究は基本的に人間の脳・神経回路を解明することが目標である

それにも関わらずなぜ違う生物を使っているのか? 第一の理由として多くの脳・神経機能は他の動物と人は共通していることが挙げられる。 もし共通しているのであれば他の動物を使って、少なくとも共通している機能は解明できるはずである。

そもそも人間は研究に適した生物といえるのだろうか?

ショッキングな見出しで申し訳ないが、今一度考えて見てほしい。 当然人間を研究材料として使うのは倫理的に許されないことだが、 そもそも人間は研究に適した生物といえるのであろうか?

  • 成長するまでに時間や費用がかかる
  • 脳が大きく、シワがあるなど複雑な構造をしている
  • 遺伝子も長く複雑な構造をしている

他の動物と共有している人間の機能を調べるのであれば 人間を直接観察することに大きな意味はないと思われる。 たとえば、宇宙人が「地球に住む生物の脳・神経機能を調べたい」と思っても人間は使わないと思う。

現在メジャーな2つのモデル生物

前述した3つの実験を妨げる要因がない生物を選べば実験はスムーズに進むはずである。 それに加えモデル生物は調べたい機能が人間とほぼ同じことが前提条件として加わる。

アカゲザル ~研究者は減少傾向~

調べたい機能が人間とほぼ同じ、と面を強調するのであれば人間にもっとも近い動物を使うのが初期の科学者にとっては自然な選択であった。 アカゲザルは日本ザルと似た種類のサルで極めて賢く、多くの機能を人間と共有している。 ただしその他の要因は研究に適した生物とはいえない。

  • 成長するまでに時間や費用がかかる
  • 脳が大きく、シワがあるなど複雑な構造をしている
  • 遺伝子も長く複雑な構造をしている

さらに近年では欧州や米国では動物愛護団体(PETA)の活動、一般市民からの「霊長類を研究に使うのはかわいそう」 という理由から対象にする研究者はかなり減っている。 特に遺伝子操作の難しさやサルの脳の複雑な構造が新しい神経活動の記録の方法*1に向かず、 ハツカネズミを対象にする研究者が増えている。

視覚系やの研究には不可欠、他の高度な脳機能にも重要?

五感の中で視覚は人間を含む霊長類にとって最も重要な感覚であるが、 ハツカネズミにとっては嗅覚や触覚が重要で視覚はそれほど重要ではない。
まず、青・緑・赤の3原色で色を認識していない。 行動レベルでもハツカネズミに視覚が重要でないことは分かっている。 天敵の来襲は匂いで反応するが、視覚ではそれほど*2反応しない。 例えばキツネが天敵で匂いに反応するが、キツネの人形には反応はしない。 一方でサルはヘビが天敵で人形を投げると逃げ回るが、匂いには反応はしないのである。
それ以外にも大脳皮質の構造自体が霊長類とそれ以外の哺乳類では違う*3ことや 神経細胞以外のグリア細胞の形態や機能が大きく違うとも予想されている*4

ハツカネズミ ~一番人気~

現状でもっともメジャーなモデル生物。研究している人数も極めて多い。*5

  • 成長するまでに時間は20日(これを生活環が早いという)
  • 脳は人間よりはるかに小さく、シワがない単純な構造をしている
  • 遺伝子は人間と同様に複雑ではあるが、少なくとも全て解読が可能である

それに加え、ハツカネズミは哺乳類であるため進化的に人間にそこそこ近いといえる。 脳の形成や神経細胞自体の構造といった基礎的な部分に加え、母性本能や性差といった心情的な部分まで人間と共通しているといわれている。

神経細胞1つ1つの電気活動の可視化 ~二光子顕微鏡とカルシウムイメージング~

最近では遺伝子を改変することなどにより神経細胞1つ1つ電気を可視化する技術が生まれ、脳・神経科学に革命を起こしている。 電気信号は目に見えないものだが、特別なタンパク質を注入することによって電気信号を可視化することに成功した。*6
その後、頭蓋骨を脳を傷つけずに切開することにより実際に生きていて活動しているマウスの神経細胞1つ1つの電気信号を記録することができるようになった。

www.youtube.com

この手法によりハツカネズミは神経科学においても最もメジャーなモデル生物に躍り出たと言ってもよい。 他にもハツカネズミは生物学や薬理学でも多く使われるために様々な過去の知見を最大限利用できるという点でも優れている。

それ以外のモデル生物

サルやネズミだけではなくそれ以外のモデル生物も神経科学では使われている。 下記では代表的だと筆者が思われるものを記述した。

ゼブラフィッシュ ~カルシウムイメージングにより急上昇中~

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ご覧のように透明であることが最大な利点の魚類。透明であるために体中の全神経を同時に一細胞単位で記録できることがウリ。 しかし意外に成長が遅かったり、遺伝子技術がやや使いにくいという面もある。 今後研究者が増えていくことが予想される

  • 成長するまでに時間は1ヶ月だが飼育は簡単で低コスト
  • 脳や他の神経が透明
  • 遺伝子は複雑で、マウスより解明がすすんでいない

マーモセット ~ネズミとサルのいいとこどり?~

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可愛い霊長類、サルとネズミの中間的な特徴を持っている。 行動な社会行動を行うが、脳構造は単純なために期待されている。

  • 成長するまでに時間は数ヶ月
  • 脳は人間よりはるかに小さく、シワがない単純な構造をしている
  • 遺伝子は人間と同様に複雑ではあるが、じょじょに遺伝子技術が使われるように

キンカチョウ ~歌の学習~

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鳥類で求愛のために歌を歌う。その性質を利用してどのように彼らは歌を学習していくかを研究する。 ざっくり言うと、歌の基本パターンは遺伝的要因で決まっており、応用パターンは環境的要因で決まっていることが分かっている。 神経活動の結果である行動がわかりやすくとてもユニークであるのが最大の利点。

  • 成長するまでに時間は数ヶ月
  • 脳は人間よりはるかに小さいが、哺乳類とはやや異なった構造をしている
  • 遺伝子は人間と同様に複雑ではあるが、じょじょに遺伝子技術が使われるように

ショウジョウバエ ~1細胞レベルで遺伝子操作~

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もともとは生物学で使われていたハエだが、神経科学でも使われる。 意外にも多様な行動を持っており、マウスよりも遥かに強力な遺伝子技術*7が使えるために 古くから人気は根強い。

  • 成長するまでに時間は8日前後(温度による調整も可能で便利)
  • 脳は小さい 逆に小さ過ぎて不便
  • 遺伝子の構造が単純で強力な遺伝子技術が使え、過去の知見も蓄積されている

線虫 ~302の神経細胞のつながり方が全てわかっている~

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こちらも生物学で使われる線虫、神経科学でも使われる。 小さい無害なワームだが、記憶やさまざまな基礎的な神経構造は人間の脳・神経機能と共通している。 最大の利点は302個しか神経細胞がなく、全ての結合の仕方が分かっている点である。

  • 成長するまでに時間は4日前後(冷凍保存して復活もする)
  • 脳も神経も透明だが小さく、神経活動の記録は難しめ
  • 遺伝子の構造が単純で強力な遺伝子技術が使え、過去の知見も蓄積されている

ヒト

人間も心理学や認知科学的な実験には使われる。筆者も学部生時代心理学や認知科学の実験に参加して謝礼を貰うことも多かった。 またfMRIという方法で脳の構造や、どの辺りが活発化しているかを調べることもできる。 しかし、これは1つ1つの神経細胞を見るというレベルには全然及ばない。 運動をした後に脚のこの辺が痛いとか、ケガをした時に腕の辺りがちょっと熱い、 といったレベルである。

ごくまれだが、てんかんの患者さんが治療目的でごく一部の神経細胞の電気的信号を記録している場合があり、 心理学や認知科学的なタスク中に電気信号を記録し解析することで科学的知見に役にたたせて頂いている場合もある。

さまざまなモデル生物は互いの得意な研究分野があり、それらの知見が集まって脳科学・神経科学は発展しているのである。


*1:後述する二光子顕微鏡とカルシウムイメージングのこと

*2:これについては議論がある。人形には反応しないが、鳥の来襲を真似て大きな影をマウスの巣箱の天井に映すと逃げる。

*3:具体的には大脳皮質の6層のうちの第4層の構造が大きく違うとされている

*4:グリア細胞についてはあとで書きたい

*5:生物学や薬を作る研究ほどではないが

*6:正確にいうと電気信号自体を可視化しているわけではなく、電気信号に伴うカルシウムイオンの濃度変化を見ている。ちなみに電気信号自体の可視化も可能であるが、まだメジャーな方法ではない。

*7:具体的には一神経ごとに遺伝子操作ができる、この神経だけなくすとどうなるか、とかが出来る。マウスではできない。