脳科学・神経科学とデータサイエンス

最新の神経科学・脳科学の研究やビッグデータの医療への応用を誰にでもわかるように説明していきます。

生体電子工学(Bioelectronics)って何? ~Googleと製薬会社~

Galvani Bioelectronics

diamond.jp

Googleのヘルスケア部門の子会社と英国の製薬会社・GSKの新事業の名前だ。
薬ではなく電気信号で患者を治療する
まるでSFのような話だが生体電子工学が目指すゴールはそこだ。*1

どんな仕組み?

腕や脚などに1ミクロン以下の太さの針を挿入し、
Apple Watchなどのウェアラブルデバイスと連動させる。
そのデバイスを通して24時間神経の電気信号を解析、
人工知能が必要だと判断したときに適切な電気刺激を送り、
神経活動を改変、患者の症状を緩和する。

例:糖尿病Ⅱ型の患者

インシュリンが出ても反応すべき神経が反応しないのが問題なので、
食物摂取をデバイスが感知し、反応すべき神経を適切に刺激してやる。

例:リウマチなどの自己免疫疾患の患者

リウマチは自分を守るべき免疫系が異常を起こし、自分自身を攻撃してしまう。
適切な神経を刺激し、免疫系の攻撃を抑えることで大きな効果が期待される。

どんなメリットがあるの?

①副作用が少ない

標的となる神経だけに作用するために副作用が少ない。
今までは薬などの化学物質で神経活動を制御してきたが、
注射や口から摂取するため関係のない正常な神経にも作用してしまうし、
薬という異物が体に混入することで予想外の作用を引き起こす可能性もある。

例:モルヒネ

痛み止めとしての効能があるが麻薬であり、殺人にも使用されたほど。

②24時間365日世界中どこでも治療

いきなり発作を起こしたり、症状が悪化したときに
いつでもデバイスが応急処置ができる。
病院に入院中だったとしても1秒を争う状況ではかなり重要に働く。

③運動機能の補助

最近ではお年寄りや障害がある人、もしくは過酷な肉体労働者のための
パワースーツが脚光を浴びている。
正確に神経がどのように体を動かしているのかが分かれば、
物理的な補助がなくとも、軽いデバイスでより効率のいい運動機能の
補助装置として機能するはずである。

④超リアルな仮想現実体験

最近ではVR(仮想現実)やAR(拡張現実)といったが大きなブームになっており、
香りや風の出る映画館や実際の風景とキャラクターを重ね合わせるPokemon goなどがある。
そうした体験を直接神経活動を制御することで、超リアルに体験できるようになる。
具体的にはCisco Systems(シスコシステムズ)という世界最大級のコンピュータネットワーク機器会社がこの方向で開発をすすめている。

危険性はないの?

①記憶がいきなり改変されたりしないの?

末梢神経系*2という脳から離れた部分だけを刺激しているので
そういったことはありえない。
しかし、以下の危険性はおおいにある。

②ソフトウェアの暴走

当然だが、一般のソフトウェアよりはるかに高い精度でバグ取りをしなくては危険だろう。
またネットワークに繋がっている場合ハッキングによる危険性も考慮しなくてはならないだろう。

③わずかな針の刺した場所のズレ

人間の神経は数ミクロン単位で絡み合いながら電気信号を送受信している。
したがって、わずかなズレが大きなミスを生む可能性も高い。

で、本当に可能なの?

GSKのBioelectronicsのVice PresidentであるKris Fammは
「10-20年でⅡ型糖尿病への応用が可能」とBBCのインタビューに答えている。
しかし、GSKがどれくらい本気なのかは不明瞭だ。
"Galvani Bioelectronics"には大体7年間で700億円超の投資予定とのこと。
これはGSKの年間純利益の10分の1ほどでそれほど大きなプロジェクトとは言えないだろう。
また、実際に人間に挿入する針は誰が製造させるのだろうか?
ナノエンジニアリングの会社か研究機関だと思うが、コアとなる技術なのでかなり重要なパートとなる。
生体に関わるナノエンジニアリングという意味で似た、血液検査の使い捨てマイクロデバイスがある。開発されて久しいが安全かつ大量に製造する方法はいまだに発明されていない。*3
またこれらの課題をすべて克服したとしても1つ大問題がある。

「どうやって目標となる特定の神経を探すの?」

外科手術と違って見た目や大体の場所で心臓や他の臓器の見分けがつく訳ではない。
神経は大体似たような見た目で違う種類の神経が隣接しているからだ。
これを克服するにはいくつか可能性がある。
1つは神経をつつむミエリン*4の厚さで判断する方法だ。

このミエリンの包む層の厚さは手足などの神経では種類ごとに異なっている。
層の厚みが違うと、それぞれ違った波長の光を強く反射する性質があることが知られている。
この性質を利用して対象の神経に針を指す方法がある。*5

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ただ上記のように現状の技術では、太くて緑色っぽい、細くて黄色っぽい、くらいの差だ。
無害な蛍光物質を注入して、特定の神経をはっきり強く光らせる方法や、
微弱な電流を流し、神経の反応性*6を見ながら形の微妙な差は判別してく方法もある。
しかし、安全面・心理面で最初の方法より見劣りする。

克服すべき課題も多いが、全体としては明るい。

この分野はオバマ大統領が特に力をいれている神経科学分野の中でもアメリカの国家プロジェクトの1つに指定されているからだ。
"ElectRX"という名前でアメリカ防衛省からの補助金、DARPA*7が企業や研究所に2-3年ほど前から大規模に送られており成果をあげつつある。

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自分も"ElectRX"のプロジェクトの一環としてナノエンジニアリングの研究室と一緒にデバイス応用に力を入れている。まだ実験動物の段階ではあるものの

生体電子工学が近い将来に大きな革命を起こすことは間違いないだろう。

*1:Galvaniとは電気により動物の四股が反応することを発見した18世紀のイタリアの科学者の名前からつけられている

*2:英語だとperipheral nervous systemちなみに反対語は中枢神経系(脳と脊髄)central nervous system

*3:Theranosという会社が「発明できた」と嘘をついて1兆円の資産価値を築いた、この話はまた今度書きたい

*4:ミエリンは神経を包み、電気信号の伝達速度や無駄なエネルギーの消費を抑える役目がある。

*5:画像引用元: Schain, A. J., Hill, R. A., & Grutzendler, J. (2014). Label-free in vivo imaging of myelinated axons in health and disease with spectral confocal reflectance microscopy. Nature Medicine, 20(4), 443–449.

*6:同じ強さの電流を流しても神経の種類によってそれぞれ反応が異なることが知られている

*7:ちなみにDARPAがサポートした発明品として最も有名なものはインターネット